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ALIVE IN CALIFORNIA

そこを訪れたならば、誰もが肌で感じ取ることができるカリフォルニアの渇いた風。タラップから降りたら、それはすぐにわかる。日本とは違う匂い。インディアンサマーのどんなに暑い日だって、青い空と乾いた風の匂いは、この地がもつ最高の持ち味。明るくて陽気なカリフォルニア。インダストリーも、風土に呼応するように、のびやかで自由な魅力に溢れている。スケートボードやサーフボードなんかでも、ニュースクーラーが途切れることなく誕生し、それと同じくらいの伝説がメイクされている。日本人だけでなく、世界中のキッズやスケートボーダーがカリフォルニアを目指す。そこで、名を馳せシーンの深部にコミットし、プロデビューするという夢を抱く。デッキ、シューズ、ハードウエア、アパレル、アクセサリーなどなど、それにまつわるものでシグネーチャーモデルをリリースするという栄誉。とくにスケートボードにおいてカリフォルニアで認められるということは、すなわちシーンの檜舞台に立つということであり、世界中のキッズが噂にするストーリーのはじまりでもあるのだ。
話は少しズレるかもしれないけれど、なんとかデビューって言葉を耳にしたことがあるだろう。中学デビュー、高校デビュー、大学デビューに社会人デビュー。これは、総じて陰口の類いに入るから、もし言われてしまったなら、ありがたくはないものだ。しかし、考えようによっては、誰もがどこかでデビュー(飛躍ととってもいいんじゃないか)しているわけで、それが早いか遅いかという時期の問題だけのような気がしないでもない。生まれながらに、めちゃイケてるやつなんて果たしているのだろうか。逆に言えば、生まれたときは、みんな可愛くて、ママに抱きしめられて、最高にイケてる人生デビューをしているわけだ。大いにけっこうじゃないか。デビューを果たして、いい感じにライフスタイルを楽しむことのどこが悪い?じゃあ、なぜ、誰かになんとかデビューなんて陰口をたたかれなきゃいけないのか。それは、デビュー云々のことに違和感を感じてるんじゃないんだと思う。そうではなくて、どんなふうに変遷していっても普遍的にあるべきものをどこかでなくしてしまったか、ひた隠して無きものとする、そんな軽薄さをきっと揶揄しているのだ。人もモノもすべては姿を変えていく。あるべきところに還っていっているのか、それともただ滅びに向かっているのか。それはわからない。だけど、変わっていってしまう。どうせ変わるなら、デビューでもなんでもいいからその度にステージを上げていたい。そして、変われないひとの妬みや嫉みの声が届かないところまでいってしまいたい。だったら、なおさら、自らの根幹にある、大切なものや大切なひとや大切な思い出を、抱きしめておくことをないがしろにしてはいけないと思う。その上で、どんどんと進んでいけばいい。それは変わらないということではなくて、もちろん変えれないということでもなく、どんどんと向上しているということになる。美しい軌跡を描いているということになる。そして、姿を変えていったとしても、あなたの存在やあなたの名前が普遍になる。
たとえば。スケートボードがどんなに進化しようが、そして、スケートボードを取り巻く世界がどんなに近未来になっていこうが、そのアイデンティティーを見失うことなく、とても大切にしているひとびとがいる。そもそも、これだけ技術革新が著しい21世紀において、ウッディであり続けるスケートボードに惹かれているわけだから、その金言は絶対的だ。どんどん大きくなっても、どんどん広がっていっても、自分たちがどこからやって来たのかを決して忘れない。スケートボードがどこで発見され、今なおひとびとを惹きつけているのはなぜか。アンドリュー・レイノルズがどこでスケートボードに出会い、今なおプッシュし続けているのはなぜか。あなたがどこで生まれ、今なおふるさとを思い出すのはなぜか。スケートのメッカのひとつサンディエゴのほど近くにある、カリフォルニア州エンシニータス。サーフシティとして世界に知られるこのビーチタウンで、1998年に生まれたあるストーリー。20年を待たずして、それは世界中のスケートボーダー、サーファー、スノーボーダーをはじめとするひとびとが知るストーリーとなった。さらにはボードカルチャーの粋を超え、そういったものを知らないひとびとの間でも語られるようになった。だからこそ、このストーリーのはじまりを大切にしたい。「アライブ・イン・カリフォルニア」。それが、ウエストコーストの陽光と、ボードカルチャーを愛する自由な気質の中で生まれたニクソンの普遍性であり、ストーリーのイントロダクション。振り返った場所を忘れない。過去を消さない。だからこそ、続きがあって、続きを楽しんでいける。僕らは、そういうひとの、ストーリーを聞きたいのだ(ASTORYTELLING)。

Senichiro Ozawa
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