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『書道家 柿沼鬼山』

親父ギャグとヒップホップをこよなく愛する昭和ヤンキー世代の生き残り。ミスター義理人情、書道家"柿沼鬼山"。彼の義理人情っぷりは彼を知る人なら周知のことでしょう。2015年11月、中野T.F.T.Dギャラリーにて行われた”KMKZ cruiser × Kakinuma Kizan art exhibition”で鬼山氏の作品に一目惚れした妻の熱望もあり、子供の名前を記した掛け軸をお願いすることになりました。潔く引き受けてくれた鬼山氏は、その”書”に気持ちを込める儀式と称して子供たちと触れ合うために我が家へやって来た。スケーターと遊び、深夜に我が家へ着き、酒を飲んでソファで寝落ちしてしまった鬼山氏でしたが、翌朝は早くから子供たちとゲームをしたり庭でBBQをしたりと、すっかり子供たちとマブダチになっていました。数ヶ月後、想像以上の気持ちのこもった掛け軸が届き、我が家の家宝となりました。そしてそれ以来、鬼山氏から着るメールには、必ず妻や子供たちを気づかうひと言が添えられるようになりました。本当に人情深い男です。そんな柿沼鬼山が昨年の12月、創作活動で訪れていたオーストラリアで高所からの転落事故によって、生死をさまよう大怪我をしました。両足首から爪先までのたいへん細かい複雑骨折、骨盤複雑骨折、脊椎骨折、左前腕骨折、後頭部打撲、肋骨骨折多数、膀胱損傷、右腎臓損傷、肺気胸、大動脈解離、脳内出血、脳浮腫。ほぼ意識のない状態で日本へ移送され、大学病院で何度もの大手術を行い一命を取り留めました。ただそんな全身へのダメージの中、鬼山氏が書を描く右腕だけは無傷でした。こんなの"神がかってる"としか思えないひとつの希望の光です。事故から約7ヶ月が過ぎた7月16日、入院中の鬼山氏とようやく面会することが出来ました。「おかえりなさい」と声をかけて握りしめた右手は、力強くしっかりと僕の手を握り返してきた。脊髄損傷のダメージを負った鬼山氏の足は感覚が無く、車椅子での生活が余儀なくされました。リハビリを終え外出許可を貰って僕らは金魚湯へと向かった。この金魚湯は鬼山氏が地元の子供たちへの書道教室を開いていたホームスポット。事故後はじめての訪問。その部屋へと向かう急な階段を、車椅子から降り一歩一歩手すりにつかまりながら自力で登りはじめた。以前なら3秒で上がったであろう階段を、何分もかけて一歩づつ一段づつ登りきった。部屋に入った鬼山氏は汗を拭き着ていたシャツを脱いで上半身裸となった。その瞬間の鬼山氏の顔つきが僕の眼に焼きついている。安心したような優しい顔と、気持ちが込み上げてきた力強い眼。いつもの柿沼鬼山の顔だ。長い入院生活や、感覚のない脚を襲う夜も眠れない程の激痛。そして義理人情男が故の周りの友人たちへの感謝やその倍以上の申し訳ない気持ち。想像のつかない程に蓄積された身体とメンタルのダメージから解放されたのだろう、後日送られてきたメールには「魂の復活、精神の再生、明るい希望、本来の自分、すべてのポジティブな感情を呼び起こした」と綴られていた。植物人間、あるいは死すら覚悟しなければならなかった状況から、手術を行った大学病院の先生曰くは「こんな回復は奇跡的」だそうだ。まだまだ身体の療養やリハビリなど時間はかかるだろう。でも書道家"柿沼鬼山"の復活はそう遠くないと僕は信じている。Reaim-worksでは柿沼鬼山氏の回復、そしてこれからの活動に対して全面的にサポートします。また、Facebook Kizan Supportアカウントへのご協力を呼びかけます。是非、Kizan supportへのアクセスご協力をお願い致します。

Reaim-Works 森田 英二