Sb Skateboard Journal TOP

TANGENT

ここ最近お気に入りのタイトルは昨年Skate-Atomが製作した「JOURNEY」だ。日本を代表するスポットシーカーのデシと、金沢の長岡斉に南大道。横浜のスケートボーダーでありフォトグラファーのノリ。出身も年齢もバラバラな面々が山荘での出会いをきっかけに、日本全国47都道府県でスケートボードをするというスペクタルな記録映像のアレだ。このところ夜な夜なスケート後に身体と気持ちをクールダウンしながらまったりと鑑賞するのが定番のようになってきた。「トリックがさぁ」とか、「編集がさぁ」なんてウンチクはなくて、ただ単純に「楽しそうだねぇ」とか「旅したいねぇ」なんて気持ちの高揚感があるのがお気に入り。ふと、2012年のSb「SKATE BOARD JOURNEY号」を再び手に取ってみた。そこにはノリの写真とデシのWordで綴られたSkate-Atomのページがあるのだけれど、ビデオ鑑賞後に読んでみると映像にもSbのページにもひと味ふた味スパイスが加わった感じで深みがでてくる。映像や写真だけでは見えてこないヒストリーがさらに気持ちの高揚感を増してくれる。付け加えさせてもらうと、そのSkate-Atomのページの後にはAkira TakataのNewYork JOURNEY手記、さらにその後にはLui Arakiの香港JOURNEY手記が綴られていてJOURNEY欲の高揚感はMAX状態になる。是非みなさんもセットでどうぞ。そんな僕の思い出に残るJOURNEYは2004年に訪れた韓国。アジアのスケートボードの交流を目的にReaim-worksをスタートして初めて訪れたソウル。知り合いがいるわけでもなく言葉もまったくわからない。前途多難な旅を覚悟して飛行機へ乗ったのだが、スケートボードがあれば必然と最高な出会いがあるものだ。フォトグラファーのPEPSIと日本語も話せるスケートボーダーのSeung。彼らのお陰でこの旅も、そしてその後の様々なスケートボーダーと訪れたソウルの旅も最高に充実した時間となった。フィルミングからチルスケートに観光から食事に夜遊び。恐らく...いや間違いなく通常の観光客が訪れる韓国より、チープでディープな日々を満喫したと思う。ここ数年は韓国に行けてないけど、FacebookやInstagramなんて便利なアプリのお陰でお互いの近況を確認したりコミニュケーションしている。PEPSIは現在NewYork在住で可愛い子どもと幸せそうに暮らしている。彼の写真はたびたびSbのグラビアを飾っていて、震災後に発売されたHOPE号ではSteve RodriguezやJack Sabbackなどのポートレートで日本へ温かいエールを送ってくれた。Seungは輸入業の仕事をしながらdooonutsというスケートボードやライフスタイルを提案するプロジェクトを立ち上げた。43Magazine、そして去年からはSb Skateboard Journalの輸入販売を始めた。そしてつい先日には、今話題のTightboothの新作LENZ2のプレミアをソウルで開催し、韓国と日本の重要な架け橋役となっている。そのSeungが昨年末に来日した。荒木塁宅を拠点に祐天寺のGuru's crewや横浜スケートボーダー、そしてSb編集長SO氏など、新旧友人たちと交流を深めた。短い滞在期間ではあったが彼にとって充実したJOURNEYになったのではないかと思う。僕自身も数年振りの再会で最高な時間を過ごすことができた。そんな彼を見て思った。「まだまだあのとき始まったJOURNEYは続いている」って。そう。スケートボードを続けてる限り、生きている限りJOURNEYはまだまだ続くのだ。出会いもあれば別れもあったりするけれど、本当に大切な人や物に別れはない。たとえ遠く離れていてもしっかりと繋がっているし、スケートボードはしっかりと隣に置いてある。僕もSeungもPEPSIも、そして恐らくSkate-Atomの面々も、まだまだ旅は途中。人生って壮大なJOURNEYを。KEEP ON PUSH, KEEP ON JOURNEY!!!

Eiji Morita