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TANGENT

平綴じできれいに製本された卒業文庫には、生徒と同じバリューで教師陣のたむけの散文も寄稿されていた。励ましや教訓を謳った文章が陣取る中で、忘れられない文章を見つけた。それは激励でも門出にまつわるものでもない、教師自らの年越しの仕方を淡々と綴っているだけだったが、その言葉に想像力はかき立てられ、胸が躍った。卒業してからだいぶ時が経った今、自分のパートすら思い出せないが、その散文はまったく色あせることなく心に残っている。アジアとヨーロッパが交差し、人種のるつぼといわれるインスタブール。人がひしめき合うグランバザールをひとり彷徨い、国籍も言語もバックグランドも違う人と人とがひしめきあう活況な流れに連年、身を任す。そんなことが書いてあった。夜にアタテュルク国際空港に着陸するときは、とても美しく、印象的だとも書いてあった。淡々と。ただそれだけなのに、グランバザールの大晦日の夜を、イスタンブールの新年の夜明けを想像した。 むにゃむにゃと話し、くにゃくにゃとした風体で、まったくもってさえない40近くの独身教師。多感なある時期において、それは醜い男の象徴のようだった。醜いというだけで小馬鹿にしていた生徒たちからしたら、それは三年という期間限定のことだったとしても、教師にとっては、教鞭を取り続ける以上、永遠の3の掛け算に近かった。しかし、その人はしがらみもなく、ひとり、田舎町の誰もが見たこともない光景や人いきれの中に立って、自らの望みを叶えている。心の自由を体感していたに違いない。毎年、師走になるとふと思う。クリスマスから年をまたいで街全体が華やいで家族や恋人や仲間が親交を温め合うこの国を発って、アタテュルク国際空港にひとり降り立つ光景は、哀愁ではなく凍てついているのでもなく、なぜか光り輝いているような気がする。実は三年という期間限定の中で、言葉を投げかけられていたのはこちらの方だったのだろう。当時のその教師の年齢に近づいていくほどに、会いたいと思うようになった。会ったところで、何を話すというのか。こちらのことなど覚えているはずもないのだが。自身も教師も年を重ね老け込んだとしても、その散文は永遠で、会って何か話しかけたい。しかし、本当に会いたい人とはなかなか会えない。いや、簡単に会ってはいけない。「ありがとうございます」なんて言ってしまったら、それだけになってしまう。自らが何かを満足するために形式的なお礼なんてするもんじゃない。今はそう思う。もっと生きて、どこかで会える日まで、もっと駆け巡っていようと思う。駆け巡り、必死にがんばり、見つけてもらう。見つける。それはまるで人でごった返すグランバザールの夜のような感じ。誰も知らないけれど、その誰かと会ったことがあるような。暗夜行路。暗闇が怖くて、必死にあかりを探した夜。闇夜の道行きを止めずに、たぐりよせたわずかなあかり。境遇の違いはあれど、みんな必死であることに変わりはない。打ちひしがれ這い上がってきたとしても、単にラッキーだっただけだったとしても、たぐりよせた可能性は自らの進むべき未来を照らす。グランバザールの煌々とした人々の魂のように。こうしてまた新年を迎えることができた。そして誰かと話している。話すことができている。その中には、いつかまたとても会いたくなる人もいるだろう。今はそれがわからなくても、いつかとても会いたくなる。駆け巡り続ける。それしかない。ありがとうは、それからだ。2013年新春。

Senichiro Ozawa